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福井勇 (画家)

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福井 勇(ふくい いさむ、1908年(明治41年)7月17日 - 1988年(昭和63年)9月14日)は日本の画家京都府綾部市生まれ。

来歴

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1928年(昭和3年)京都府師範学校卒。1930年(昭和5年)京都市工芸専修学校素描科を特修。坪井一男関西美術院都鳥英喜黒田重太郎に師事。京都市内の小中学校の教員を務める傍ら、制作を行う。

全関西展二科展京都市美術展他に数々入選。第1回、第10回京展出品の<柿><静物>は京都市美術館に、第1回行動美術春季展出品の<裏愛宕><冬景色柿>は司法省に買い上げられる。行動美術協会の結成に参加、会員となる。

1945年(昭和20年)頃より亀岡市曽我部町穴太にて制作を続ける。1947年(昭和22年)第3回日本美術展覧会委員として文部省より委嘱される。また、1950年(昭和25年)第1回大阪市主催関西総合美術展1963年(昭和38年)第15回京展において審査員を務める。

1967年(昭和42年)関西美術院理事となる。

京都精華短期大学の美術科新設に際し伊谷賢蔵と協力、1968年(昭和43年)同校の教授に就任した。後京都精華大学理事長関西美術院理事長となる。1983年(昭和58年)、京都府文化功労賞を授与される。

1988年(昭和63年)、鬱血性心不全のため死去[1]

孫に、社会学者明治学院大学社会学部教授の石原俊がいる。

脚注

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  1. ^ 東文研アーカイブデータベース